短編小説

【短編小説】半身半疑ーhalf think, hangingー

ーーワタシが愛した妻の、最後に見た笑顔は、青春の無邪気さと、女性特有の神秘的な問いを口元に匂わせ、そして、彼女は、ワタシの半身、私の信仰をそのまま、天井に吊るしたーー

52歳の夏。
ある晩、いつものように妻と食事を済ませ、風呂に入り、ベッドに横になった後、夜中トイレに立とうとしたら足が縺(もつ)れた。
立ち上がろうにも力が入らず、妻を起こし、すぐに救急病院へと搬送された。
脳梗塞(のうこうそく)だった。
幸い言語障害や失行、失認といった混乱は生じなかったが、最も一般的な症状である半身不随(ふずい)、顔を含む身体(からだ)の左半分の運動障害があった。
その後、市内の総合病院に1ヶ月、リハビリ専門に3ヶ月入院した。
妻は、毎日病院に通い、私に尽くしてくれていた。
足の機能はある程度回復するかもしれない、と言われていた。
私は、杖なしで歩けることを期待したが、結局儘(まま)ならなかった。
仕事の方は、家で書き物をしていたので、まあなんとかなった。
67歳の今も杖をつく生活ではあるが、さほど不自由することもなくやってこれた。
リハビリ院を退院する時、ベッドから立ち上がろうと妻の肩を借りたあの時、後にも先にも一度きり、
「ありがとう」
と、妻に伝えられたことが、それだけでも、この障害を受け入れるのに足る良い機会だった、と思えた。
妻は、嘆かわしい世間の下品さ、派手さとは正反対の、上品で、素朴に、文句も言わず一歩引いて付いてくる、まさに日本の女性であった。
私は、妻をずっと愛し、妻にずっと恋していた。
私の青春や瑞々しい感情は、全て、彼女の中にあった。
半分不自由になった身体に、その他のつまらない部分を残し。
物憂(ものう)げな古い写真機の、レンズと感光板の間にある、「美津代(みつよ)」という名の暗箱(あんばこ)に、私の輝きの全ては、静かに閉じ込められていたのだ。

そして今。
私はーーー、
私の愛と同義の存在が、
私の心の半身である妻、美津代が、
燻(くす)んだ白色のロープを、真っ白な首に思い切り食い込ませて、
和室の梁(はり)からぶら下がっている景色を、
ぼうっと眺めていた。
今朝も、いつものように、妻が珈琲を淹(い)れ、食パンを焼き、朝食を共にした。
その後、書斎で少し書き物をしていたが、たちまち頭が重くなった。年々体調に波が出てきて、決して珍しいことではなかった。
例の如く、寝室で少し休むことにした。
その間。
同じ屋根の下。
信じられるはずがないーーー。
「美津代!何してるんだ!!」
声が溢(あふ)れた時には、脳裏に別の思考が走る。
その思惑が、和室に真ん中に浮かんでいる妻の体に触れるのを拒む。
妻から届く範囲に、足場になるような物が“見当たらなかった”からである。
「・・・そ・・んな・・・。ーーーバカな!!」
しかし、唯一と言っていい私の理解者である妻が、自ら命を断つはずなどない、という“信頼”が、今、背筋をじわり登って行く予感の方を支持している。
「私が・・・そんな・・・・」
視界が滲(にじ)み、声は消え入りそうに掠(かす)れる。
杖を放り、身体は畳(たたみ)へと崩れた。
右手で唇を摩(さす)りながら、首をほとんど真上に曲げ、不自然な位置に直立している妻の姿を、崇(あが)めるように、見上げた。
いや、ただただ、眼前の“信じられぬ光景”と、そこから連想する“信じられぬ罪”に耐えきれずに、ありもしないモノに縋(すが)っている、ぶら下がる、そんな行為だったかもしれない。
妻は自殺ではない。
私が殺した。
私の、この左半身がーーー。
それが私の結論だ。
今この場において、最も“信じられぬモノ”、それがこの左半身であった。
第三者からすれば、この結論こそが“信じられない”のであろう。
しかし、凶兆(きっちょう)は、確かにあった。

最初の違和感は、2年程前だったと思う。
体調に波が出てきたのもちょうどその頃だった。時折頭が重くなり、しばらく横になる日が増えたのを意識し始めた。
その日も、家で妻と昼食を済ませ、珈琲を飲み、書斎に籠(こも)ってしばらく後、“その感覚”に襲われた。
仮眠を取って目を覚ますと、すぐにある異変に気付いた。
頭の上、枕元のスタンドライトの方まで、左手が投げられていたのだ。
寝返りで、体の下敷きになっていたり、掛け布団から放り出されていることは時々あった。しかし、この左手が頭より上にあるようなことは、寝ている時も、もちろん起きている時も、半身不随になって10年以上の間、“たったの一度も”なかったのだ。あり得ないことだった。
不調が出始めてから、仮眠の後は倦怠感(けんたいかん)を引きずることも多かった。今思えばそれは、怠(だる)さと共に、“その気配”が、自分の内を這(は)いずり回り、少しずつその領域を広げてくるような不気味さも混在するものだった。
左手が“動いた”痕跡(こんせき)は、その後、月に二度、三度と、露見(ろけん)された。
52歳の夏で、自分とは切り離されたはずの左半身に、再び注意が向くことが増えていく。
右と比べると一回り細くなった腕や足を、改めて、まじまじと見ることは、それだけでも苦痛であった。
朝起きた時、風呂に入る時、その素知らぬ顔の左手は、古い玩具屋(おもちゃや)で遊ばれずに錆(さ)びたブリキの玩具のようだった。
見るたびに、自分の身体という感覚は薄れ、不信感だけが募る。
今も、ここに存在はする。
存在はするが、あの夏の晩、病院に運ばれてから動かない左側。
肩や首などに吊るされているだけの左手。
それを支えてくれた妻や、私たちが暮らすこの家、私の座る椅子や机にさえ、この10年ほどの歳月の「思い」や「生活」があった。
それがただの「時間」でしかない、という顔をしたこの左手。
目を背けていた。
労(いたわ)ることもしなかった。
今さら再び対面したこの左手は、率直に言って、他人の物のようだった。
そして、私の評価を受け入れるかのように、私の、左手は、左半身は勝手に動いた。
そう、思えてならなかった。
そして、去年の暮れ。
私が一人抱えるこの問題が、さらに顕現(けんげん)する出来事があった。
この日も、午前中、書斎でパソコンに向かっている時に、件(くだん)の怠さが襲い、嫌々少し横になった。
そう言えば、不思議といつも寝付きは良いのだ。夜の睡眠の質が悪いのかもしれない。
起きると、左手が、額を覆(おお)うように、頭に乗っている。
「またか」
と、右手で、左の手首を掴み、その手の平を睨(にら)みつけた。
凄んだはずの私の眼が、たちまち見開かされる。
左の親指の付け根、肉厚になっている部分をぐるりと囲むように、見慣れた赤錆(あかさび)のカスを、そこに見つけた。
すぐにそれが何か思い当たる。
私は、杖を手繰(たぐ)り寄せ、乱暴に体重を預け、庭へと向かった。
朧(おぼろ)げな気配が、鮮明な足音となり、私の領土に踏み込んできた。
私は、それを確かめに、庭の花台の上の盆栽達を、一つ一つ念入りに観察した。
昨日も、一昨日も、私は20年間欠かさず、この盆栽達を観察している。土の乾燥や葉の色艶(いろつや)など、わずかな変化を感じることが、長く付き合うコツだからだ。
落葉した盆栽の、奥の1つ、手前の2つに、鋏(はさみ)を入れられた痕(あと)が認められた。
そのまま横の物置を覗くと、故意なのか、道具箱の蓋は開きっ放しにされ、気に入りの盆栽鋏が飛び出していた。職人の完全手打ちの代物で、剪定(せんてい)をするたびに、刃の部分を必ず乾いた布で拭き、小まめに油を注(さ)して、と大事に扱ってきた。元々持ち手は黒錆になっておりサビにくくはなっているのだが、私が“錆び手”なのか、長年使う中で赤錆が出てしまっていた。剪定の時は必ず手にそのカスが残るようになっていた。
物置の戸口に腰掛けて、
「ふう・・・」
と、やっと一つ息を吐いた。
落とした目線の先、顔の正面に、左手の平を持ってくる。
赤錆。
黙秘する左手。
痕跡だけ。
足音だけ。
行き場のない怒りが込み上げる。
奇(く)しくも、休眠期の盆栽は、異質な傷痕(こずあと)をなかなか消してくれなかった。
毎日毎日、私は、動かない左手と、不細工になった盆栽達の間に、正体不明のワタシの存在を見せつけられた。

ーーーそして今、
その怒りも、
恐怖も、
正体不明の足音も、
私というたった一人の、空(から)になった容れ物の中で、虚(むな)しく反響しているだけだ。
今目の前にある現実は「私が妻を殺した」、それだけ。
いや。
客観的に見れば、半身不随の夫が妻を吊るした、というのも現実的ではないのかもしれない。
しかし、それしかない。
それしかないのだ。
そして、
妻がいない。
私が奪った。
この現実を信じることなど出来るはずがない。
私は、庭の物置で園芸用の丈夫なヒモを取り、戻るところを一度踵(きびす)を返して、盆栽鋏を道連れに選んで、書斎に向かった。
書斎の中から鍵を閉めると、そのドアノブに額を当てる姿勢を取る。
その状態のまま、額をドアノブから僅(わず)か浮かし、まずは首にヒモをぐるぐると巻いていく。
ドアの木目をまっすぐ見つめて。
脱力した左半身に、心の矛先を向けながら。
息を吐き、吐き。
何重にも首に巻いた後、今度は額の先のドアノブと首筋とを、交互に、決して離れぬよう、巻いていく。
確実に、何度も、何度も。
何度も、何度も、何度も。
最後に、勢い良く、ドアに背を向け、右足を前に放り投げた。
多脚杖は倒れて、車輪を空転させる。
上半身がわずか数十センチ床から浮いて、望み通り、ドアノブに吊られる。
頭の中、鼓動がカウントを早めていく。
震える瞼(まぶた)。
その裏側に、吊るされた妻の姿が浮かぶ。
渾身の右手。
相棒の盆栽鋏を握り締(し)め。
それを胸に当て。
私は、ワタシの息の根を、止めた。

ーー妻は、笑っていた。
ーー何十年も見ていなかった笑顔だ。
ーー妻は笑うこともあるのだ、と思い出した。
ーーワタシに気付いても手を止めず、嬉しそうに珈琲を掻(か)き回している。 
ーーいつから、妻の目に、ワタシは映らなくなったのか。
ーーいつから、私は、“信じる”ことしか出来ない、臆病な人間になったのだろうかーー

ーーーー気付くと私は、姿勢良く、書斎の机に着席していた。
ーー左半身が動いたな。
不思議と、怒りも、恐怖もない。
ーー本当は知っているからね。
今までとは違う。
ーーこれが”最初“で”最後“だから。
痕跡ではない。
ーー実感だ。
ロープを鋏で切り、自分の左足で立ち上がった。
ーー本当は今も動かせる。
妻を愛していた。
ーー妻は疾(と)うに諦(あきら)めていた。
妻を信じていた。
ーーありがとう。
ーー何してるんだ。
ーー"一度でも"言えていたなら。
開いたままのノートパソコン、その文章に目を走らせる。
「目を覆(おお)い、耳を塞(ふさ)ぎ、黙ったのは、私だ。ワタシじゃない」
そして、
私は、
立ち上がり、
床のヒモを左手で拾い上げ、
和室へと歩いて行く。

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