短編小説

【短編小説】休息当番

Dingーdong♪ Ringーtone♪ KingーKong♪ Singーa song♪
本日ハ晴天ナリ
マイクテスト マイクテストー
太陽系第3惑星かもめ第9小学校、6年β(ベータ)組の朝が、今日もやってきた。

先生「おはようございます」
みんな「おはようございます!」
先生「では、日蝕(にっしょく)さん号令!ーーーあ、井上はいいからな。もっとだらーっとしてなさい」
井上くんは<休息>と書かれた襷(たすき)をかけて姿勢正しく座っていた。先生に言われて、両腕を枕にして顔を伏せ、寝ることにした。
日蝕「起立!」
雲のほとんどない青い空に、たちまち暗闇のカーテンが引かれていく。
日蝕「礼!」
みんなが頭を上げる頃には、外も教室も真っ暗。
日蝕「着席!」
誰かがイスに座り損ねて、ガタン!と音がした。
先生「はい、阿部くんは闇(やみ)に乗じて、青井さんのスカートをめくろうとしない!」
阿部くん「してねーし」
先生「阿部くん、ついでに教室の電気を点けて下さい」
阿部くん「はーい」
パチン。
ちょうど40人の児童の顔が先生の目に飛び込んだ。
先生「それでは、シュッケツ確認をします」
その時、中島くんがサッと目を伏せたのを、先生は見逃さなかった。
先生「血、出てる人ー?血が出てる人はいますか?」
みんな「しーん」
先生「そうか、今日は、出血はナシか・・・」
と、言いながら教壇を下りて、先生はちょうど教室の中心に向かって入って行く。
先生「中島くん、手を出してみなさい」
中島くんは、しばらく口を尖(とが)らせていたが、先生が「ほら」と言うと、目を伏せたまま、右手を出した。
先生「利き腕、手の平の出血か・・・試合続行はーーー!? ドクター!!!」
と、先生が廊下(ろうか)まで響く大きな声で言うと、保健の潔子(きよこ)先生が飛び込んできた。中島くんの右手のひらに油脂(ゆし)のようなものをこれでもかと塗り込んでいく。潔子先生の真剣な眼差し。みんなも固唾(かたず)を飲む。潔子先生は大きく首を振り、中島くんはがっくりと肩を落とした。
その様子を見て、先生が「ゴング!」と、また持ち前の声量を轟(とどろ)かせた。
教室のスピーカーから、
「カーン、カーン、カーン」
と、チャイムとは違う鐘の音が3回響き渡る。
先生「1ラウンド3分27秒、テクニカルノックアーゥウト!」
先生は、悲痛な面持ちで、隣りの席の中野さんの筆箱をマイクのように握り、「中島くん、一言お願いします」と、中島くんの口元へ差し出した。
中島くんは「不本意です」とだけ言い残し、そのままランドセルを背負って、とぼとぼと教室を後にする。潔子先生も、その傍(かたわら)で彼の肩を強く抱き寄せ、一緒に教室を出て行った。
先生は、一目散(いちもくさん)に教壇へと戻る。
先生「はい。では1時間目の国語の準備をしておいて下さい」
先生が教室を出ると、みんなそれぞれに、ロッカーから着物と帯と足袋(たび)を持ってきた。まずは、上履きと靴下を脱いで足袋に履き替える。それから、慣れた手つきで着物を着付けていった。
次に、自分の机に椅子を逆さまに乗せて、次々と教室の後ろへと机をさげていく。
国語係が、1人は座布団を山にして抱え、もう1人がプリントを見ながらまちまちの枚数の座布団をみんなに配っていった。国語係の着物は、赤色で揃(そろ)っている。
しばらくして、1時間目のチャイムが鳴った。
先生が淡藤色(あわふじいろ:薄い青紫)の着物で現れる。
先生「日蝕さん」
日蝕「起立! 礼! 着席!」
みんな正座で、それぞれ積み上げた、高さの違う座布団の上に座っている。
井上くんだけが、朝の格好のまま、机で寝ている。
先生「人の数だけ思いがある!」
威勢(いせい)良く語り出した。
先生「ーーー頑張った分だけ座布団がある!国の数だけ言葉がある!まあ、これは一概(いちがい)には言えませんが。さて、今日も、まずね、みなさんがどこかの国の言葉を一言、喋って下さい。わたくしがですね、『なんの国語だい?』と伺いますから、何か上手く答えを返して頂きたい。ではどうぞ」
みんなが一斉に手を挙げた。
先生「では、益田(ますだ)さん」
国語の時間は、男子も“さん付け”の先生である。
益田くん「お暇な〜ら、来て〜よね♪」
先生「なんの国語だい?」
益田くん「おいでませ、こちらは観光立国です」
突然、教室のスピーカーから、拍手のBGMが流れた。わあわあ。
先生「うん、上手い。お手本のような1つ目ですね。国語係さん、座布団一枚!」
国語係「「はぁーい!」」
廊下に控えていた国語係の2人が、1枚の座布団の四方を持ち、益田くんの元へ駆け寄る。
益田くんが正座を解(ほど)き立ち上がると、国語係は、その座布団の山に1枚重ねて、足早に廊下へと戻って行った。
先生「はい、では次」
みんな一斉に手を挙げる。
先生「じゃあ、イノセンティウスさん」
イノセさん「アブラカタブラ〜、お金の湧き出る呪文です」
先生「なんの国語だい?」
イノセさん「石油産出国です」
先程と同様に、拍手の音。
先生「まあ、予想はついたよな」
イノセさん「“アラブ”カタブラ〜」
先生「諦(あきら)めの悪いヤツだな」
今度はスピーカーから中年女性たちの笑い声が流れた。
先生「はい、次!」
みんな「はい」「はい!」「はいはいはい」
先生「うーん。では、一番綺麗に手の挙がっている、金井さん」
金井さん「白蛇(しろへび)や 神勅(しんちょく)宣(のたま)う 錦帯橋(きんたいきょう)」
先生「なんの国語だい?」
金井さん「山口県は岩国(いわくに)でございます」
言いながら深々と頭を下げた。
拍手が流れる。
先生「これは綺麗だ! 手の挙げ方だけじゃなかった! 一枚やってあげて」
国語係が、座布団を持って来て、一際高い金井さんの山に一枚足した。
先生「では、次ーーー。はい、川合さん」
川合くん「む、むむむ! この先2週間の日照(ひで)りで、田畑が涸れ上がるぞよぉ〜ああぁあ〜!!!」
川合くんは、大袈裟(おおげさ)な身振り手振りで、天井に向かって両手を上げた。彼の芸風である。
先生「・・・なんの国語だい?」
川合くん「私は卑弥呼(ひみこ)!!邪馬台国(やまたいこく)よ、永遠なれぇ〜!!!」
わざとらしく裏返った声に、スピーカーも沈黙。
先生「大声出せばいいってもんじゃないよ・・・そちらのヤバ大国さんから一枚持ってって!」
国語係「「はぁーい!」」
待ってました、と国語係さんが勢い良く飛び込んできた。
一人がぽんと両手で川合くんを突き飛ばし、もう一人が座布団を取り上げる。
川合くん「この野郎っ!一枚しかないのに!!」
溢れんばかりの中年女性たちの笑い声。
先生「そろそろ変わり映えのするのが欲しいねぇ・・・」
挙手の勢いは一層増すばかりだ。
先生「じゃあ、ンヴァカカ星ホスフィン生命体さん」
その時、時計の針は、授業開始から10分も経過していなかった。
先生を含めたクラスのみんなが、静かに目を閉じた。
無色の気体であるンヴァカカ星ホスフィン生命体さんが、先生を含むクラスのみんなの脳に直接イメージを送り込んだ。
みんなが座布団の上で、かろうじて正座を保ちながら、両の手をだらんと肩にぶら下げた。
ある者は瞼(まぶた)を小刻みに震わせ、また、ある者は時折上半身を大きく波打たせた。
先生のみが、口元に笑みを浮かべ、平然と直立していた。
結局、1時間目終了のチャイムが鳴るまで、その状態は続いた。
チャイムにいち早く反応、覚醒した先生が、力士さながら両の手を左右に開き、そこから、パチン!と胸の前で手を打つ。
その拍子に、目を覚ました者が30人前後。
先生「ンヴァカカさんの答えは相も変わらず、まさに言葉になりませんね。座布団あげるあげないの次元を超えていますなぁ・・・しみじみ。今回は10人ほど、まだ帰って来られません。挨拶をしたらみなさんで、保健室の方へ運んであげて下さい。次の算数は準備が出来次第始めます。それでは、昇天、今日はこの辺でお開きということで」
号令もなく、先生が足早に舞台袖(そで)にはけていく。
間の抜けた珍妙なBGMがスピーカーから流れ出すと、みんなも気を失ったまま者達の搬送に取り掛かった。

2時間目の算数が始まったのは、始業のチャイムが鳴って12分後であった。
先生「みなさんご苦労様でした。では日蝕さん」
日蝕「起立!」
みんなが椅子を引き、立ち上がる音で、井上くんは、自分が涎(よだれ)を垂らしているのに気付き、ずずっと一度啜(す)り上げた。先生とも目が合ったが、互いに一度頷(うなず)き合うと、彼はまた眠りに入った。
日蝕「ーー礼!着席!」
先生「時間も押していますので、少し駆け足でいきますね。昨日の授業で、図形の拡大と縮小」
先生が、色紙で作った大きさの違う2つの三角形を黒板に貼る。説明に対応する部分を右手で示しながら。
先生「ーーー形の同じ2つの図形について2つのことを確かめました。一つ、対応する直線の長さの比がすべて等しい。一つ、対応する角の大きさはすべて等しい」
前回の授業の振り返り、確認テスト、今回の課題へと、授業は進む。
小学校学習指導要領第2章各教科の第3節算数に則(のっと)って。
その内容に準拠した教科書に沿って。
先生の授業は、活動も交えながら、児童の自発的な学びを促す、素晴らしいものであった。
詳細はここでは割愛する。

3時間目は、チャイムが鳴ると同時に無事開始した。
みんな無事に体操着で校庭に集合、井上くんは無事に教室で寝息を立てている。授業の境目などお構いなしである。
体育の授業は、基本的にみんなで決めた、体を動かす“遊び”をすることになっている。
ルールや審判など遊びに関して、先生は一切口出ししない。
みんなが、体育係を中心に、3班に分かれて、サッカー、ジャンボ鬼、スラックライン(綱渡り)を始める。
それぞれが遊び始めて5分ほど経過した頃、サッカー組の坂本くんが、相対する松田くんのドリブルについて行けず、彼の服を掴んでしまった。
審判の澤田くんが笛を吹こうとしたその時、後ろから先生の笛が響く。
先生「松田!猫背!退場!」
その後、服を引っ張った方の坂本くんももちろん審判にファウル取られ、松田くんの方のチームのフリーキックになった。しかし、服を引っ張られた当の松田くんは“猫背で退場”となり、5分間体育座りを強いられた。当然のことなので、みんなも了解している。
その後も、時々、所々、遊びの種類に関係なく、先生の「もう少し腰を反らせる!今度言われたら退場だぞ」「前屈み!退場!」「松田!猫背!」という檄(げき)が飛ぶ。
遊びの内容や運営は、いくら不備があろうとも、先生の関知するところではなかった。
ただ、遊ぶ“姿勢”、心構えの方ではなく、ましてや人家の集まっている所の意味でもなく、読んで字の如く姿勢、格好、「背筋が自然なS字でしっかり伸びているか否(いな)か」ということだけに、先生は目を光らせていた。
3時間目の途中で、保健室で眠っていた者が、次々と復帰した。授業の終わりには40名が無事揃った。最後に次回の遊びを決めた。
体育係「気を付け!礼!お疲れさまでした!」

4時間目は社会。
社会の前の休み時間は、男子トイレの手洗い場が渋滞になる。
男子は、大きな鏡の前で順番に社会係から適量のヘアワックスを手の平にもらう。両手によく馴染ませから、髪全体に揉み込むようにして、適度な光沢感と毛束感を無造作に演出していく。
チャイムが鳴り、先生が教卓に着くと、リクルートスーツに身を包んだ6年β組のフレッシュマン達がそれを迎えた。
先生「今日も社会のお勉強をしていきます。まずはグループワークから。最初の15分で、各班、今日の設定、台本、リハーサルを済ませて下さい。その後、持ち時間3分でそれぞれの発表になります。では、始めて下さい」
それから15分、各班では、
「今日のファシリテーターは?」
「ジャストアイディアでブレインストームングしていこう」
「もっとアサーティブにさあ」
「そこウィンウィンじゃないと見向きもされないよ」
「脱線、もっとクリティカルな問題に」
「今んとこオンスケ」
「もうあとはブラッシュアップで」
などなど、とにもかくにも横文字が飛び交う。意味は二の次。英語のハローと一緒で、まずは、我先に、平然と、言ってのける能力を磨く。習うより慣れろ。
そして、各班の発表時間。
先生「では1班から。前に出てきて」
1班のみんなが教壇に上がった。
(便宜上、それぞれの名前を省略し、アルファベット表記とする)
A「いやあ僕、こういうお店初めてなんですけど・・・」
B「まあまあ、社会勉強だと思って・・・。こんばんはー、ママ」
C「あら!いらっしゃい! お隣のハンサムさんは、どちら様?」
B「今度うちに配属になった豆太郎くんだ」
C「豆ちゃん、、楽しんでって! お酒は?」
A「あはは。普通にビールとかありますか?」
C「ありますよー。大ちゃんはいつものでいいですか?」
B「うん、よろしくー」
C「大ちゃん、うちにも今日新人のバイトの子が入ってね、ご一緒させて頂いてもいいかしら?」
B「ママのお願いじゃ断れないの分かってて聞いてるんだからなー」
C「えー? 大ちゃん優しいから!」
B「よく言うよー!」
C「うふふ。星羅(せいら)ちゃーん」
D「ーーどうも星羅でーす!」
B「星羅ちゃーん!名前も顔も可愛いねー!星羅ちゃん、焼酎飲める?」
D「どんどん飲めます!」
B「お、いいねー!記念に奢(おご)るよ。ほら、豆太郎くんも景気付けに何か歌いなさい!」
B「え!?俺ですか・・・」
C「聞きたいー」
D「聞きたいー」
E「ーーー楽しい時間は早く過ぎるもので、Aさんだけが5分に一度時計を見ること計26回。やっとやっとのお開きとなりましたーーー」
B「じゃあ、ママ、お会計」
C「3万2千円です」
B「豆太郎君、1万6千」
A「あ、え、はい?」
B「イチロクだよ、1万6千」
A「ーーーえ? 割り勘ですか?」
B「当たり前だろ、社会勉強!お金出さなきゃ身にならないんだ、こういうのは」
A「あ、はい・・・・って言うとでも思ったか!! なーにが社会勉強だよ!! 家帰って、高い授業料だったな、じゃ終わらせねーよ! 小学校の社会科見学でダムとか見に行く方がよっぽど楽しめたわ!!」
B「ーーーま・・・まめ太郎くん!?」
1班のみんな「「以上です!」」
先生「うーん、アグリーアグリー! では、時間もないので2班さん」
ーーーという具合に、社会勉強という名の、社会の理不尽さ、侘(わ)び寂(さ)び、おごれる人も久しからず、社会という名の教科の意味する複雑怪奇さを!煮ってさ!焼いってさ!食ってさ!という具合に味わい、4時間目は過ぎていった。

給食、掃除、昼休みは、小学生の本分。
禅問答にも似た「良く食べ、良く掃除し、良く寝るが、良い」という校長作詞の校歌の歌い出しを見習って、多くの児童が、良く食べ、良く掃除し、良く寝て、良さそうに過ごす。
勢いで掃除もさせてしまうところが、校長の校長たる所以(ゆえん)である。

さて、目を離した隙(すき)に、5時間目は始まっていた。
黒板に何か書いて数人で話をしている者もいれば、ノートパソコンを叩きながらヘッドフォンをしている者もいる。膝(ひざ)を突き合わせて2人でケータイゲーム機を楽しむ者もいれば、塾の宿題を友だちに教わっている者もいる。何もせず気(け)だるそうにスマートフォンを眺める者もいれば、ただただ寝ている井上くんもいた。「寝る子は育つが、育つ子は寝るとも限らない」は、校歌の2番の最後である。
みんなが思い思いの過ごし方。
それを好き嫌いとは別で、尊重し、認め合うこと。
「ーーーこれぞ道徳です」
と、教卓で語る先生の話を3名の児童が聞いていた。
「認めること、出来る限り侵害しないように努めること、これは“他人”という個人に関して、に限りません。例えば、自分の身体的特徴、健康状態の傾向、また、これまでの経験からくる性格、性質、思考の傾向。自分に関わることも、自己肯定、自己否定は無意味ですから、それを理解しようと努め、対策を打つことです。民主主義における民意、法律や様々なルール、その場の空気、これは守るか守らないか別として、これらについても、まずは理解すること。難しく考える必要はありません。疑問に思ったらその都度、で構いません。自分で考えること、疑問に思うこと、これが全ての原点で、それによって知ることが価値があるのです。例えば、ここで、先生に言われたから、という理由で何かを調べたり、選択、判断を行なっても、それはみなさんの価値にはなりません。みなさんが、極めて個人的な活動、時間の使い方において、他人と比較しないで、自分にとっての価値を持つことが、何よりも重要です。この価値観で行動する上で重要な何か、その為なら他の些末(さまつ)なことは、町や国や世界の利益の為に、遵守(じゅんしゅ)しよう、我慢してもいいだろう、と思える何かを持つこと。代わりに受けている多くの恩恵も、物を知ることで意識出来ますからーーー」
「おい! お前たち、好きなことしていい、って言ってるのに、なに良い子ぶって、先生の話なんか聞いてんだよ」
先生の話を横から遮(さえぎ)ったのは、服部くん。彼は、道徳の時間、机を2つ重ねた上に仁王立ちしてみたり、わざとらしく転んで大声で笑ったり、目立つようなことをしたがる。他人にちょっかいを出すことも多い児童だった。
先生は、今までのちょっかいも、今回のちょっかいも、特に何か言うことはなかった。
教卓の前に椅子を持って来て話を聞いていた3人のうち、滝沢さんが、
「うるさいなー、服部はかまってちゃんなんだから」
と言った途端、服部くんの顔色が変わった。
教室の後ろまで駆けてく服部くんを、教卓の周りの3人は一笑した。
服部くんは、掃除用具入れから鋼板(こうはん)で出来たちりとりを片手にすぐさま教卓の方へ駆け戻り、そのままの勢いで滝沢さんの後頭部を思い切り殴りつけた。
「死ねーっ!!」
と、叫びながら。
先生も、気付いて、間に手を差し込もうとしたが、間に合わなかった。
両脇の2人が「きゃあー!!」と叫ぶ。
道徳の時間、それぞれが自分の自由を謳歌(おうか)している時間、40名の注目がそこに集まり、教室は静まり返った。
「服部くんーーー」先生が、ゆっくり話し始めた。「あなたが、滝沢さんを殺したいのなら殺しなさい。そしたら、その後に、私が服部くんを殺します」
「ーーえ?」
「世の中には、人を殺したい人がいます。動機がある人もいれば、人を殺すこと自体が喜びや好奇心である人も存在します。その感情を、個人を、私は否定することは出来ません。しかし、死とは終わりです。一方通行です。個人の自由が、他人の自由を侵害することはあります。その最たるものが、他人の命を奪うことです。これは、個人が、社会の中で、その恩恵を受けながら、一方でそのシステムを互いに支えながら生きていく中で、最も侵(おか)してはいけない領分(りょうぶん)です。死ぬことが一方通行であるが故に、それを脅(おびや)かす発言や行為には、冗談や言い訳も通用しません。表現した時点でも、罰則や警告があります。実際に殺人が起きてからでは遅いから。・・・服部くんは、死ね、と明言して、先の尖った金属で滝沢さんの後頭部を殴りました。この時点で、結果がどうなろうと、社会や人間という動物が、服部くんに対して、断固たる態度を取ることは確定です。これは、ハッタリではありません。ーーー私は服部くんを殺します」先生は、最後に、もう一度、その言葉を口にした。
服部くんは恐ろしくて声が出なかった。
「そして、その行為が未遂に終わっても、あなたの選択は、人間の築き上げた物の恩恵を受け取らない、という選択だと自覚しなさい」そう付け加えた先生の顔は、怒りや威圧とは違う、アンドロイドのような無機質な表情だった。
服部くんの心は、心臓は、得体の知れないモノに、押しつぶされ、握り潰されそうな圧力を受けた。呼吸もままならない悲痛の歪みが、顔や全身に浮かび上がった。
先生は、「ふぅー」と息を吐くと、少し顔に血の気を取り戻して、「滝沢さんを保健室に連れて行きなさい。戻って来たら罰として、今日の時間は、先生の話を聞くこと」
服部くんは、黙って滝沢さんの手を引くと、廊下に出て行った。
先生は、服部くんが戻って来るまで、目を閉じ、腕を組んで、黙っていた。
クラスのみんなも、気持ち半分は他人事であるが、勝手気ままに振る舞っていいものか分からず、俯(うつむ)いて何もしないでいた。

ガラガラガラ。
教室の戸が開き、俯いた服部くんが現れた。
先生「滝沢さんは大丈夫だった?」
服部「切れてないし、大したことないそうです」
先生「よし、じゃあ、話の続きをするので、服部くんも椅子を持って来て下さい。みなさんも、自分の時間に戻って下さい。あと、服部くんはこれから罰を受けるので、滝沢さんのことで服部くんに悪口とか言うのも禁止です」
みんな「はーい」
服部くんが椅子を持ってくると同時に、それまで他のことをしていた5人が椅子を持って加わり、計8人が先生の話の続きを聞く形になった。
先生「人間も元々は動物です。他の動物と一緒で、いつ自分が肉食動物に食べられてしまうか分からない中で、より安定した食料を確保し、自分たちの安全を確保し、睡眠を取り、健康を保ち、とする中で、群れを作りました。そこでは、自分が取ってきた獲物を自分だけで食べる訳ではありません。自分たちの寝ぐらを守ってくれている者、幼い子ども、力は弱いが子どもを生んでくれるメスなどと餌(えさ)を分け合います。それぞれの役割があり、何かしらのルールがあります。恩恵の代わりに、縛りがあります。やはり、ここでも群れの中での殺しは許されなかったでしょう。というより、群れを本能的に作る動物である時点で、遺伝子レベルで、同種を殺さないようにプログラムされています。基本的に同種の動物の殺しはありません。人間は、そこからさらに、特殊な進化を遂げました。人間だけが、理性や感性に水をやり続け、科学を持ち、本能から最もかけ離れた所にいます。そこには、子どもを育てない親や同種の殺しの発想が存在します。それは、本能のままに生きることから自らを解放して獲得してきた自由ゆえの、種として有害な副産物です。理性を、自由を、獲得してきた人間は、ルールという縛りも、本能ではなく理性で作り、群れが築いたものの恩恵を理性で認識することで、自分の自由が他者の自由を侵害する時、それらを天秤にかけ、妥協したり、抑制する必要があります。分かりましたか?」
7名「分かりません」
先生「服部くんは?」
服部くん「・・・分かりません」
先生「よろしい! 分かったフリや、期限があるわけでもないのに答えを断定してしまうこと、これは、ちゃんと知る上で、しちゃいけないことです。これからも道徳の時間のたびに、私は同じような話を繰り返ししますので、また気が向いたら話を聞いて、その都度、分からないことは質問して下さい。今日はもうそろそろ時間かな?」
と、先生が、振り返って、時計を見上げると、ちょうど5時間目就業のチャイムが鳴った。
先生「号令はいいです。今日は帰りの会もなし。机を元に戻したら下校して下さい。井上くん、今日の休息当番お疲れさま。ずっと寝てなくても積極的休養という言葉もあるんだぞ!あと、一番重要なこと!明日の休息当番は先生です!熱海に行ってきます!隣の田中先生の言うことをちゃんと聞くように。では、先生は滝沢さんの様子を見てから帰ります!さようなら!」
みんな「「さようなら!」」
誰よりも足早に先生は教室を出て行った。

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