よくある、起業しよう、とか、ネットで仕事しよう、とか、意識低いように見えて高い系の、お金の匂いがする話とは全く違います。(いや結局働くじゃん、って僕なんか思っちゃうし。)
もっと純粋に、働かなくてもいいと思う、とただ、そういう話。
それが許す状況を自分で作ったり、元々許されていたり、したらなおさら全然あり。
それが許す状況を自分で作ったり、元々許されていたり、したらなおさら全然あり!
この記事は、こんな人におすすめ
- 働きたくない
- 実際働いていない
- 働いていてもモチベーションが低い
- 働いていてそれなりに充実しているが将来は不安
- 明日も仕事なのに現実逃避でなかなか寝ようとしない(練れない病気とかじゃない)
- モテたい(以下の記事は役に立ちませんが読んで!応援してる!)
この記事の性質上、必要な部分だけ掻い摘んでという消費の仕方は難しいと思う。
ので、活用も難しいかもしれないが、あえて目次もある。
それでもないよりは、親切かと。
働くこと=正義、ではもちろんない。
対価はお金でもらっている。
お金を一切もらわずに、私財を投げ打って、社会に貢献する人がいれば、自分のしていることは正しい、と言っても良いかもしれない。
しかし、例えば、きちんとお金をもらう仕事を生み出す=雇用を作る、というのも価値だし、別に自分が分かりやすく社会に貢献する行為をしなくても、「ひたすらお金を稼ぐ、使う」という行為自体が、社会貢献そのものではないか、とも思うので、この議論は少し遠くから見守ろうと思います。
働きたくない。
とは、いたってまともな感覚だ。
と、平気で言ってのける奴が語っても説得力はない。
が、道理として、人が嫌なこと・面倒なことをするから対価をもらえる、というのは合っているだろう。
働くことの多くは嫌なことなのだから、それを避けたい感情は間違っていない。
それでも働かなくてはいけない、という別の道理を各個人が持っているから、自分をなだめて、時には騙(だま)したり鼓舞したりして、今日も人は働く。
しかし、避けられるものなら避けても良いだろう。
働きたくない、と一言で言っても、中身は千差万別、十人十色。
例えば、仕事で朝起きたくない、とか、何か締め切りが迫った案件を抱えると一気にやる気が失せる、そんな時は部屋の掃除とかスエードの靴を別の色に染め替えてみたりとかしたい、とにかく道草が美味い。
世の中にはこういった人間、大袈裟に言って、そんな僕が生きている。
似た人が他にもいるだろうか。
自分を「ダメな奴」とか思ってはいけない。
いや、思うのは自由だし、感覚は正しい。けど、そういう思いを認知して、ましてやぐるぐる頭の中を巡らせても、その感情論は言い訳にしか行き着かない。
自分を好きとか嫌いとか言ってしまう姿勢が、何かをこじらせる行為でしかない。
他人を好き、嫌い、というのはある。この内容的には外見の話ではなく、内面、人間性?の話であるから、自分から知見する、その人の考え方、その癖、あたかも「その人らしさ像」みたいなものが相対的に観測されるわけで、それに「好き」や「嫌い」という感情が生まれる。
では、自分を好き、嫌い、という時の対象となる「自分」って何?と考えると、過去の蓄積である。他人を好きの時も、概ね過去の蓄積に対する評価だけど、
朝起きないでお金を稼げないか、締め切りに迫られたくなければ常に半年以上先の仕事だけしていれば良いのではないか、と考える方が建設的だし、昔よりはだいぶ実現可能になったのではないか。
例えば、YouTuberとして生計を立てる、かつ、1人で撮影や編集等もこなすのなら、鮮度を求められないテーマの動画をまずは作り置きして、半年後、自分のタイミングで投稿を始めれば、既にストックが出来ている状態になる。それでも毎日ダラけていればストックを食い潰すことにはなるが、少なくとも「今日は働かない!」と思い立ったが吉日、実際に働かなくても、仕事はなんら滞らない(動画はストックから定期的にリリースされる)、誰に迷惑をかけることも、顧客の期待を裏切ることにもならない。
何が言いたいのか。僕も考え中です。
3月19日 書きかけ
4月3日 追記
大山 直