順を追って形式立てて書かれているとは思わけど、あえて目次も用意。
もしよければご活用を。
この記事は、こんな人におすすめ
- 決断力がない
- 無趣味、夢がない
- 周囲と比較しがち
- 自己嫌悪しがち
- 逆に、自己肯定しがち
はじめに
ブログっぽい書き出しまでは良かったが、もう我慢出来ない(もうとは?)。やはり多くの人にとっては特に有益にもならない記事であると明言しておく。
例えば、健康系のテレビ番組の様に、今から1ヶ月はスーパーからなんちゃら油が姿を消し、半年後には何事もなかった様に例年通りの売れ行きに戻る。結果として、その番組は、広告スポンサーにとって有益だっただけで、ほとんどの視聴者には有益になり得なかった。
それと同じで、もし仮に、この記事が一定数の方にその価値を認められても、多くは気のせいだし(悪いこととは一つも言っていない。気のせいが人類の歴史を築いてきたと言ったら過言)、成功する人はその人が勝手に成功しただけだし、「その決め手となったのが”この記事”なんです!」ということはまかり間違ってもないだろう、という話。
ネガティヴでもポジティブでもなく、思い上がりでも思い下がりでもなく、そうだろうな、と僕は思う。
幽霊をぎゅっ
いつも前置きが長い、と誤解されがちだけど、気付いた時にはとっくに本題も佳境に入っているスタイルだ。
思い上がるのも思い下がるのも、自己嫌悪も、近年良く言われがちな自己肯定感とかも、全部ただの「ロス」だ。
自己評価が低い人は、どうでもいいことで他人と比べていないだろうか。
そして、もっと自分を好きになる努力、とか、ありのままの自分を認める、とか、定義すら曖昧な、根本的な問題は変わらない底無し沼へとずぶずぶと埋もれて行ってやしないだろうか。自分から見た自分って何のこと?
「自分を嫌い」も「自分を好き」も、「ネガティブ」も「ポジティブ」も、「気にしている視点」は同じだし、気分の浮き沈み任せみたいなもの。
自分で描いている途中の絵を見て、好きとか嫌いとか評論しちゃっているぐらいトンチンカンな気がする。いやそれなら違く描けばいいじゃん、って。今描いてるとこでしょ、って。
もっと言えば、絵の方が上手い下手がはっきりしている。良し悪しとなるとそこまで単純ではないけど、それでも「自分」とか「人間」よりよっぽど明確な基準がある。
そんな評価基準やそもそもの存在まで怪しい「自分」というものに対して一喜一憂するのは、いわゆる、雲を掴むような、のれんに腕押し、豆腐にかすがい、ぬかに釘、幽霊をぎゅっ、ぐらい効き目がないことだ。
どうでもいいことで他人と比べてしまうなら、どうでもいいことだと切り捨てられない理由を見つめ直すべきだ。その結果、必要であれば努力をすればいいわけだし、努力が仮に実らなくても「まあ頑張ったし」って思えるぐらいは十分人間は楽観的だと思う。
他人と比べないのが一番で、例えば「仕事」ぐらい具体的な現場、能力や結果がはっきりする、評価の伴う場所であれば明るみになるのも仕方ない。けど、それ以外のことでも周りと比べていないだろうか。
決めない。生きているうちは終わらない
無趣味、夢を持っていないことは良くないこと?
それって、人が生きる意味とか、楽しいや幸せって何?とか、長い時間かけて追求したりしなかったりする個々のテーマであって、原発問題とかよりもっとずっと複雑だから、答えがあるのかすら分からない研究だから、とにかく保留、暫定の対応で良いのだけど?
他人に迷惑をかけない限り、自分が満足すれば良いこと、つまり、そもそも他人と比較することが不可能なジャンルでは?
それでも、これ!と名前をつけて、言葉やレッテルをペタペタ貼って、他人にも見せたり評価されたり、こなれた感じに身に付けたいのが人間!
他の動物とは違い、高度な社会に生き、周りと違うと落ち着かないなど、そんな思いで成り立っている部分もあるので、否定はしません。
でも、その圧力で、夢を持てない自分に価値を見出せず、無気力に、死に直面するほど追い詰められる人間がたくさんいるだろうことを想像すると、笑ってもいられない。
昔から美徳とされる夢、愛、家族、子育てなどにかこつけて、それをより具体的に達成するノウハウ的なことばかりが、テレビやSNS、薄い本なんかで量産されて、売りたい側の声が大きさで錯覚して、多数派に取り残されている気がして、自分の心が間違っているような気がして。
なんでも具体的に落とし込んで、スケジューリングして進めるのは効果的に見えますが、その最たる分野と思われる「仕事」という分野においてすら、実は短期的なスパンの仕事に限られるそうです。中長期的な仕事においては、細かくて具体的な「手法」なんかよりも、修正可能な「方針、方向性を決める道理」などが人間を動かし、プロジェクトを進める原動力となる。
何でも決めがちな今日この頃、決めない勇気を!
タイトルの切れ味のために言い過ぎたので訂正、決めてもいい。
ただ、決断力とか決断という言葉から連想する、決めて断つ、断ち切ってしまうこと、諦めてしまうこと、修正不可のような状態は勿体無い。
いつでも始められる。
成し遂げられるかは分からないけど。
いつでも出来る。
どこまで出来るかは分からなくても。
10思い描いて、その内1つ出来ただけでも、意外と気分が良かったり。
その先でまた考えたらいい。
ここまで生きてきた自分はそうそう変えられない?
この世界で、唯一変えられるのなんて、自分だけ。
人生は、終わるまで、終わらない。
以上。
大山 直